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古史伝
十八神代
神湯とは、神の始給へる意は元よりにて、其湯の神々しき義なるべし、〈右に挙たる風土記の文に、非尋常出湯雲々と雲へる趣にも思ふべし、〉さて伊豆国は、温泉の多かる国なれば、何の温泉のことならむと、国人に逢ごとに、如此言ひ伝ふる湯ありやと探ぬるに、今は此名お知れる人希なるが、熱海の温泉お旧く然も雲へるよし、古老の物語なりと雲人あり、是に依て、此国の事記せる書どもお集めて見るに、まづ熱海と雲地は、東北の極にて、走湯山に近く、今は町屋も多く立並たるが、温泉の源は町より西北に在て淖(しほ)の満干に従ひ、昼夜に六度ばかり沸騰こと甚烈く、塩辛きこと淖に異ならず、其湯源の上に、湯の宮と雲社あり、町家なる湯は、此湯源より竹樋お通して引来るとぞ、〈林羅山先生の丙辰紀行にも、走湯より一里ばかり西に温湯あり、其名お熱海と名づけて、人の万の病あるもの浴すれば験あり、先年余も人に誘はれて湯に入はべりし、其涌ところお見るに、淖の進退によりて、岩の間より煙むし上りて、人の近づくべくもあらぬほど熱きに、熱湯涌出て流れ走るお、筧おかけて家々にとり、槽に湛へて人々お入けりと記されたり、〉上に引たる風土記説によく符へり、湯宮と雲は、此の二柱神なること言まくも更なり、〈熱海温泉記と雲物お見れば、熱海の温泉は、往昔この海中に、温湯俄に涌出たり、是に依て、彼辺の魚類忽に煉死て、礒にうち揚ること山の如し、人更に海中に温湯ある事お知らず、援に万巻上人と雲沙門あり、たまたま此所に来れるが、海に温泉あるべしとて、海人お入れて尋させけるに、果して温泉ありしかば、薬師の冥慮お仰ぎ、此温泉お里に祈よせて、諸人の為に功徳せむとて、一七日祈りけるに、忽に温泉山下に涌出たり、里人奇み思ひけるに、薬師如来里人の夢に告て、病ある者この温泉に浴すべしと、一同に告て、里人一致して、即社お草創して、温湯守護神と崇め奉る、今の湯前権〉現是なりとて、委く此湯の功能おも記せり、功能は然る言なれど、上件の趣は、二柱神の此所に湯お出し給ひけむ古伝の遺れるに、例の仏風の説どもお打交へて妄説せる物と見えたり、二柱神お薬師と申せること、更に珍らしからず、