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類聚名物考
地理三十五
伊豆国賀茂郡熱海温泉記 倩熱海なる出湯の年経りし由来お考へ侍るに、〈◯中略〉抑此里は、名にし負伊豆がねの尾にして、海辺より三丈余り高き岡に、巌の底より自然塩湯の涌出て、立登る煙りは富士浅間にもたぐへやは見ん、昼夜六度宛、時に臨みては沸り出る響雷鳴かとあやしむ、溢れ流るヽは大河の如し、かヽる不測の霊湯ありつれど、上代は民屋も乏く、知人なくて徒に幾年月おふりにたり、かくて孝謙天皇の天平勝宝元年己丑睦月ばかり、里の小童に神託て雲はく、此高き岡に温泉あり、汲取て浴せよ、病咸愈べしと、頓に小童は醒てかヽりし事おも不知、黙然として眠る、こヽに村民等恭畏て、神の教のまに〳〵、湯槽お居置桶渡し、浴室お作曳入ゆあみしけるに、衆病愈て妙なる事神の如し、よりて清地お撰み、湯の上なる岩境に神籬お建、湯前神社お斎ひ、少彦名命お安鎮まつり敬ければ、里も栄へて、いや増に効験なれば、千年の今猶絶ずなん有ける、寛平四年、中納言紀長谷雄卿といひし博士、伊豆国の任なりしにや、来り給ひける時、温泉の源お探見んとて、数多の村民に命て堀穿けるに、滑石及開之(しきなみ)熱湯沸出る事猶前の如し、かヽりしかば、恐退て止ぬとかや、元来神徳成事しるし将多に、湯の流ければ、里の名お湯河原と唱ひしが、又海面もそヾろに熱かりければ、後改て熱海といふめる、東鑑に雲、建暦三年十二月、修理亮泰時、伊豆国阿多美郷の地頭職と雲雲見ゆれば、名に流れしもいとはるけくなんおぼゆる、慶長二年三月、恐くも大神君御臨湯(みゆあみ)ましましぬ、其後寛永三年の頃、大猶君被為成御催して有て、仮御殿建しが、故有てや止ぬ、其御殿跡とて、今猶遺れり、