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飛州志
一土地
下呂温泉 同郡同郷湯島村にあり、本朝上古の温泉三処あり、所謂摂州有馬、野州草津、飛州湯島是也、国説に雲く、天暦年中、此地の山中に初て温泉涌出せり、地名お湯峯と雲ふ、然るに文永二年乙丑冬十月、湯峯の温泉出止て、山下今の地に涌出せり、是則益田川の河原にして、常に温湯の涌出るにてはなし、人浴せんとするとき、河原の砂石お除きて僅にくぼめぬれば、其所に忽ち温湯出る也、猶清泉たり、猶其河水に近き所は、甚熱湯也、然れども其河水に於ては、曾て温湯の気味なし、又此地に温泉薬師と称する霊像あり、口碑に伝ふる処、文永年中、温泉此地に涌出せしとき、湯の島の樹下に於て光あり、村民あやしみ、其光明おたづ子行て見るに、薬師の尊像お得たり、故に一宇の草堂に安置して、温泉薬師と称せり、然るに寛文年中、同郡萩原郷中呂村竜沢山禅昌禅寺第八世、剛山祖金和尚、此地に於て一寺お建立して、彼霊仏お安置す、医王山温泉禅寺と称せり、 羅山林先生詩集巻第三曰、〈紀行三、西南行日録、元和辛酉孟夏二十五日之条下、〉有馬山温湯、 温泉沸沸石磐間、病可除兮垢可刪、這裏提醒長水子、本然清浄忽生山、 我国諸州多有湯泉、其最著者、摂津之有馬、下野之草津、飛騨之湯島、是三処也、〈下略〉今有馬、草津は、広く世の知る所也、湯島は古来の霊湯たること、遠く知るもの少しと雲へども、入湯する人は、其験お得ざること無しとなり、