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草津温泉来由記
上州吾妻郡草津の邑に温泉あり、〈◯中略〉此湯硫黄明礬の精気流れ出て、除病の効いちじるしと、抑硫黄は性熱にして、病瘡お除き、陽精おさかんにし、寒冷お払ふ、明礬は其味ひ酢くして、諸毒お解し、治症多能也と医典に雲侍り、しかはあれど、吾が所見のごときは、山は山、水は水、自然の温泉にして、自然の功用お具せり、他の湯多くは此二気によるといへば、此説も又宜べなり、〈◯中略〉建久三のとし秋八月の日、将軍源頼朝公、兼て此霊湯名お、荒草の際に没し、歩お古径の辺に絶し事お歎き、再び此湯お開き、試に浴せんとて、群臣お率し此所に来りて、一幽谷お臨給ふに、沸湯空お吐て、恰も鑊湯のごとくなるお見て、すなはち欣躍して開湯し給ひ、数け日の湯窪おわかち其効験品々あり、或は将軍初て浴お試み給へば、御座の湯と称し、又冷暖相和ひて幼老おあたヽめ、安楽あらしむるにより、綿の湯とも名り、悪血邪湿おとらかし、固疾癩瘡お治するは、唯滝の湯お第一とせり、又鷲の湯、脚気の湯といふも故あるおや、