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宗祇終焉記
此暮より又わづらふ事さえかへりて、風さへくはヽり日数へぬ、きさらぎの末つかたおこたりぬれど、都のあらましは打置ぬ、上野国草津と雲湯に入て、駿河国に罷帰らんのよしおもひ立ぬるといへば、宗祇老人、我も此国にしてかぎりお待侍れど、命だにあやにくにつれなければ、こヽらの人々のあはれびもさのみはいとはつして、又都に帰りのぼらんも物うし、美濃国にしるべありて、のこるよはひのかげかくし所にもと、たび〳〵ふりはへたる文あり、哀ともなひ侍れかし、富士おも今ひとたび見侍らんなどありしかば、うちすて国に帰らんもつみえがましくいなびがたくて、信濃路にかヽり、ちくま河の石ふみわたり、菅のあら野おしのぎて、廿六日といふに草津といふ所につきぬ、