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塵塚物語

信州草津の湯の事附地ごくあなの事 信州おく山の中に、草津といふ所あり、其所に熱泉あり、此所いたりて山中にして、人倫まれなる所なり、浅間の山のふもとより七八里も奥山也と雲ふ、此温湯きはめてあつくして、勢ひ又強く、其味しぶれり、是いはゆる仏説に、東海の北国に草津といふ所あり、其所に熱湯ありて、衆痾お治すと雲々、則此湯なりといひつたへたり、しかれども、此湯の性つよくさかんなるがゆへに、病によりて忌之といへり、凡瘡毒難治にして骨にからみ、又悪血ありて腫物お発し、春秋寒暑の節にいたりて再作するの類は、かならず十人に八九は治すと雲、されば此湯お頼むものは、まづ深切にその人の虚実強柔の質器お見あきらめて、しかふして後に可用之と雲、〈猶此事医術の人に相談し、且又此湯お用ひたる人に再往たづねとふべし、〉此事は、前年彼湯にいりて、しば〳〵其しるしおえたるものかたり侍し、和国第一の熱泉也、一たび湯治してかへるもの、其太刀、脇差、衣服、器財の類、総じて色お変ぜずといふことなし、てぬぐいお彼湯にひたすに、白潔の布たちまち柿澀の汁にて染たるがごとし、やぶるヽ事なくして、其布かさね畳む所の折目よりすなはちおれ切るといへり、かやうの湯もある事にや、扠三月より中秋まで、遠近のもの援に来り、其程すぎぬれば、入湯難協と雲〈其所の民俗語て雲く、九月より以後は、此所の山神参会し給ふ故、重陽の比より此所の旅館の人も去て里に下り、又来年の期お待て此所に来たりて旅人おもてなしあつかふと雲、私雲、もし此説然れるか、又重陽より以後は、至て寒さが故か、両条いかゞ〉又此湯より猶おく山へいれば、おそろしく焼上る山おほしと雲、昼は其やくる時いたりても見分がたし、夜に入て焼る刻限には、四面皆火也と雲、外国のもの、たま〳〵此事おきけば、身の毛もよだつておのヽく事也、 ◯按ずるに、此書草津の所在お信濃とせしは誤なり、蓋し草津は殆ど上野と信濃との境にあれば、当時或は信濃の草津とも雲ひしか、