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松屋筆記
八十八
なすの湯 拾遺集〈九巻雑下〉大中臣能宣が長歌に、しほがまの、うらさびしげに、なぞもかく、世おしもおもひ、なすの湯の、たぎるゆえおも、かまへつヽ、わが身お人の、身になして、思ひくらべよ雲々、能宣家集には、たぎるゆえおも、かまへつヽお、たぎる胸おも、さましつヽに作れり、世おわびしきものに思ひなすに、那須の湯およせたり、那須は、下野国那須郡にて、今も高名の温泉あり、平治物語〈三巻〉頼朝挙義兵条に、九郎御曹司雲々、信夫に越給へば、佐藤三郎は公私取認て参らんとて留り、弟四郎は即ち御供す早白河の関固てければ、那須湯詣の料とて通り給ふ雲々、参考京師本に、白河の関固てければ、那須湯と雲山路にかヽりて通り給ふ雲々なども見ゆ、さるお夫木抄〈廿六巻雑八〉温泉部に、題不知、〈なすの湯信濃〉よみ人しらず、 しなのなるなすのみゆおもあむさばや人おはぐヽみやまひやむべく、とあるより、物に信濃の名所とせるおほかり、和歌名所追考〈百四巻〉下野部に此歌お挙て、初句下野やに作り、異本信濃なるとあり、げに信濃なるは、聞誤にて、下野やの方お正しとすべし、たぎるゆえおもかまへつヽは、たぎり湧湯坐お構るよしに、故といふ詞およせたるたるなり、