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翹楚篇
人のやまひおいたましみおぼしめし、御手当の下る事は挙てかぞへがたし、其二三事お挙て、其余は推て知べし、何年の頃にや、御手水番坂二郎右衛門勤仕、かヽる程にはあらねども、何とか色さめ気鬱して、虚労の症にも成なんかとみへし程の事あり、是等の病は旅出に気お慰めて快気お得る事其例多くあり、此事おおぼしめしけん、最上〈羽州最上郡〉の高湯へ湯治せよとの御内意下り、願書出し、御例のごとく三回二十一日の御暇にて湯治せしに、才の日数ながら、果して旅中より気力すヽみ、全快お得て帰りし、〈御家中の諸士、私の旅出協はぬ事ながら、最上の高湯三回の御暇は、昔より其例も多くあれば、人々高湯湯治の雲立にて、高湯には才一二夜も逗留し、余の日数にて出羽の熱海、象潟、奥州仙台、松島なんど見物する事也、是元より上お欺奉る、不届の事ながら、昔より御宥恕の思召も有けらし、帰湯の上松島の絶景のふけりも人とがめず、おほやけにも御糺なきほどの事に成来りければ、所所慰遊せよとこそのたまはね、畢竟の所は、夫がための思召なりけるとぞ、〉又安永四年の事なり、予兼て壮健の生れながら、頭痛に泥む事他に越たり、此事有がたくも御憂おぼしめし、山上白峯(やまかみしらふ)の高湯の、頭痛にしるしある事、人々の唱ふる処、又其験もおほし、其方が不如意中々自力にてはむつかしからん、手伝ふてやる、湯治せよとの御事にて、小判などたまはり、湯治せし事あり、斯る有がたき湯治なれば、昼となく夜となく、ひた入にあまたヽび浴して、湯滝に頭おうたせしかども、其後折々はげしき頭痛の発りしは、殊にはげしきやまひなるが、きくときかぬとの人にもよるか、又湯気に酒気お勝たしめしゆへか、恐て恐るべき事になん、然ども今年天明九年迄、指お折て十五年なるに、三四年来は希に発る事ありながら、曾て深き泥もなしおもへば湯治のしるしなるか、老には病の漸々に薄らぐか、抑君徳に浴せししるしなるべし、