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出羽国風土略記

温海岳熊野権現 麓に温泉有、名湯にして、頭痛、眩暈、上気、消渇、痰、打見、脱肛、下血、脚気、淋病、小瘡、瘡毒、灸瘡、婦人血道お治す、血痰は血積内障外障風等には忌む、或いふ、岳に祭る熊野権現は、延喜式神名帳に載る田川郡由豆佐の売神社也と、故に去秋彼地に行て旧記等お乞求るに、宝永元年、領主の御尋有て、書上たる趣お開板したるもの有、其文にいふ、後堀河院御宇嘉禄二年、温海鳴動し河水波立たるお、時の人しらひてと呼けるとぞ、其内に温泉涌出しに、小聖上人薬師如来お安置し給ひけるに、万の難病お助おわしまさんと誓有て、奇瑞さま〴〵なるよし雲伝へけるに、今も違はずと雲々、外に村肝煎等連名にて書上たる控有、夫には嘉禄二年四月二日、温海岳鳴動し、河水波立たる時、白髪たる老人呻給ひける、其中に温泉涌出しと有、上人薬師安置の趣はいづれも同じ、連名の上に温海岳は薬師と有、世人入湯の中、湯屋にて念仏お禁ず、又岳参詣にも念仏お申さず、正面の湯と雲より、四五間上に地蔵湯といふ有、熱湯にして野菜茄お其湯の余お石盤に溜て、村中洗濯湯とす、湯の上に石檀お設て禿倉あり、土人地蔵堂といふ、同村東の山際に薬師堂有、本尊の左右に十二神将あり、享保元年に鋳たる鰐口あり、湯蔵大権現堂主温泉山長徳寺と彫刻、寺等禅寺にて堂の左にあり、四月八日は講ありとて、古来は浜温海村永叔寺といふ寺家別当たりしとぞ、長徳寺に縁記ありとはいへども、一覧お許さず、或言、近年鶴岡の家中にて出しと雲湯蔵権現と称するお見れば、湯の守護神お祭、薬師お本地仏と寺家の称したるより、檀上に仏像お立並べ、神号お鰐口に湯蔵権現とばかり残りしにや、又村老の話に、湯の辺に祭る所の地蔵といふは、則湯蔵権現にして、楽師お湯蔵権現といふは、享保以来の事にして湯蔵お地蔵と転訛せしにや、熊野権現には社家一員、修繕四家あり、