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筑紫紀行

六月〈◯享和元年〉十日、城崎郡湯島〈豊岡より是まで三里〉御公領にて、久美浜の御代官所に属せり、さて此所は一筋の町にて、町の中通に細き溝川あり、上の町、中の町、下の町、合せて人家二百五六十軒、宿屋大小合せて十軒あり、下の町井筒六郎兵衛お大家ときヽて、尋ね入て滞留の宿と定む、家の入口より奥まで、楼上楼下合せて室の数三十に余れり、さて一室に入て休み居るに、暑気なうして冷然たり、土地北海に近く、其上山谷の間なればなり、 十一日、巳刻過より曇天になりて、未刻過より雨ふりいでぬ、此所に諸国より湯治のためにきたれる人多けれど、辺国僻地なれば、游観のために託来るはまれにて、実病の人のみ多ければ、自らしめやかにして、華々しき遊び業もあらず、有馬などとは様かはれり、湯治人旅宿旅籠の価一日二匁なり、朝と未刻頃に茶漬お出し、昼と夕に本膳お出す、又座敷お借るのみにて、食物お自調るもあり、室代一廻三匁にて、米、味噌、薪、其外の諸物、皆宿に出入する商人通ひにて入るなり、又焚出しと称するあり、其は米お自とヽのへて、宿に付して日に二次焚出さしむ、さすれば宿より一汁一菜おつけて出す、かくて一廻の代一匁五分、座敷代に合せて四匁五分なり、〈◯中略〉温泉すべて五所、一には新湯、下の町の入口にあり、清潔にして甚熱し、一の湯二の湯と二つに隔なせど、同じ泉なり、功能血お運し、胎毒瘡毒お追出し、創傷などは一旦うみてのち癒るなり、二つには中の湯、あしき匂あり、甚ぬるし、腫物切疵の類癒ること早き故に癒湯といふ、されども毒気お追込故に、程もなく再発するとぞ、三には常湯、四には御所湯、五には曼陀羅湯、此三つ大形あら湯に同じ、曼陀羅湯は此所の温泉の始めなりといへり、外に殿の湯は平人おいれず、非人湯は非人のみ浴なり、さて此地の名物として、売物は、麦藁細工、柳行李、湯の花、海苔等なり、さて此所にも銀札通用す、十匁より一歩まであり、銭は九十八文お以て一匁とす、此地北海お隔る事僅に一里なり、されば魚類多くして価甚賤し、