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温泉津日記

文化十とせ癸酉といふとし二月二十二日、石見国温泉津におもむく、さるはおのれ、〈◯篤考〉この六とせばかりさき、脚疾お憂てあしなへふむことあたはざりしお、幸に医薬効ありて、ひととせばかりおへて本腹せしが、去年の冬又再発して歩行むつかしく、官途こヽろにまかせねば、かの温泉に入治すべく、此春君に願奉り、往来五十日の御暇たまはり、さて思ひたちけるなりけり、〈◯中略〉 廿六日、午前温泉津に著、宿甲屋又左衛門奥なる一間おかりきりのすみどころと定む、温泉は前なる山手の湯屋新左衛門といふ者の家のうちにありて、鍵温泉、おとしゆ、入ごみとわかつ、おのれは鍵湯に浴す、かぎ湯といふは、ゆの門に錠おさして、入浴の度々鍵おもち行、錠お明て入事なり、おとしゆもそのこヽろなり、〈◯中略〉 廿七日、けふより浴度先日に四度と定む、すべて浴度のおほきはいむ事にて、強人五六度、弱人二三度に過べからずといふ掟書あり、されどはじめは度数すくなく、追々に増はよしといふ、〈◯中略〉 此家のあるじ又左衛門話に、此温泉の濫觴いつの事に侍るか、一匹の兎来り、足おいためるやうすなるが、三七日が間此温泉に浴し、平愈せし趣にて飛去けるお、わが先祖見つけて、はじめて試けるに、かたの如くの効験ありて、おひ〳〵繁昌しいでけるよし、又そのかみ、此ところの家とては、今の湯本新左衛門が先祖と、わが家ばかりなりけるお、此温泉のわき出ける場所新左衛門が土地なりけるおもて、今にかれお湯本とし、年々元日にはわが家より入初おする作法に候お、かの証拠と申伝侍る、わが家十三代このかたの事は、いさヽかの由緒も候が、以前の儀は、湯本にもわが家にも、その外にさだかなる書付も候はず、さて又この温泉の効験のいちじるき事は、あげてかぞへがたきうちに、既に去年の事にて、是より四里ばかり奥なる福原と申在所に、次郎と申百姓十八九にも候はん、風毒おやみけるのち、足のすぢ攣急してのびざるに、同村の人あはれみ、牛にのせてわが家へつれ参り入湯せしむるに、四五日おへて足のび、杖にて温泉へ通ふほどになり、おひ〳〵全快して、つひに歩行にて山道お蹈て帰り候が、ことしもその礼にとてまいり候、その外まのあたり奇妙なる事ども、常々見るゆえ、医心も候はヾかきつけおき候はんに、短才不文くちおしくさふらふといへり、