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温泉小言
一筑前の国三笠の郡天拝山の麓に温泉あり、村の名お武蔵といふ、その温泉まことに右の注文のごとく、異気に触ず、異臭異味お帯びず、自然天然のうぶのまヽなる湯の、たヾ硫黄の臭気お帯て、あつからずぬるからず、身にふれて温柔和煦、既に浴して後、腹蔵肌膚表裏内外煦々温暖の気、やヽしばしやまず、頻に浴すれ共、肌膚枯燥せず、疥疥、梅瘡一切の諸瘡ある人これに浴すれば、皆邪毒お排出し、淤汁お托発し、諸瘡ことの外わかやぎたちて、扠は九日乃至二七日三七日の以後、気味よく平癒す、実に最上至極の良湯なり、それゆへ入湯の人も、近国よりあまたあり、されども温泉の理に達せざる人は、兎や角やと評論もつけ、有馬などの湯よりは格別おとりたる様におもふべけれ共、左にはあらず、世人はたヾ耳お貴んで目おいやしみ、遠きおしたひて、近きおゆるかせにす、これその常なり、浅間しといふべし、 一むかし釈の蓮禅、はる〴〵と此湯に湯治にくだりて、都へ帰りのぼるとて、長門の壇の浦にて、 夜憶遐郷終入夢 晴望孤島小於拳 一尋西府温泉地 治病逗留及両年 といふ詩お作りし由、無題詩集の中に見へたり、西府とは鎮西府の事にして、武蔵の辺皆鎮西府の古跡なり、左すれば、此湯いにしへはことの外繁昌せし湯にて、近国のみならず、天下にひびく名湯にて、遠方よりも、はる〴〵と海山お越て湯治に来りし温泉と見へたり、又貝原翁の雲、或説に、斉明天皇上座の郡朝倉の行宮にとヾまり玉ひし時、むさし村に行幸ありて、御湯治ありしと雲といへり、又古今和歌集に、源のさねといへる女、都より筑紫湯治にくだりしに、かみなひの森にて、人やりの道ならなくに大かたはいきうしといヽていさかへりなむ といふ歌およみし由見へたり、此さねが湯治せし湯、つくしとばかりありて、いづれの温泉のことヽもさだかならず、つくしといへば、さすところ甚ひろし、今九州の温泉ある所甚多し、左すればいづれの温泉のことヽも極めがたけれ共、釈の蓮禅が、はる〴〵と武蔵の温泉に浴せしお以て類推すれば、さねが湯治せし温泉も武蔵なるべし、 一その所の人のいヽつたへには、いにしへ将軍虎麻呂といふ人あり、その女疾ありていえがたかりしに、此温泉に浴せしかば、その疾すなはち平癒せり、故に虎麻呂その湯お経営し、取建しよりこのかた、今にいたるまで浴者絶へずといへり、虎麻呂の本宅は、古賀村の内すだれと雲所にありしとかや、今も其宅の跡あり、又温泉の近辺に、虎麻呂建立の薬師堂あり、椿花山武蔵寺と号す、その寺の側に、虎麻呂の墓あり、元来虎麻呂といふ人、正史旧記にその事跡見あたらぬ人ゆへに、いつの比の人にや分明ならざれ共、此武蔵寺お建立せし人なれば、はるかにふるき世の人と見へたり、