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筑紫紀行

廿九日、筑前の久喜宮お出てより、此所迄平道にて、甚行よかりしに、是よりは又山の手にかヽり初ぬ、二十丁計行ば、川原村人家二十軒ばかりあり、十丁余行ば、柄崎宿、〈北方より是迄一里十三丁〉人家四百軒計、佐賀の家臣衆の領地なり、此所に湿瘡疥瘡などによしといふ温泉あり、遠近の人湯治に来り集る、さるによりて宿屋茶屋も多し、