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七湯栞

温泉濫觴 凡温泉に浸りて病お治る事は、ちはやぶる神代のむかし、天孫いまだ降臨したまはざる時、大己貴尊、宿奈彦奈命と同じく、わが豊葦原中津国お領せさせおはしまして、此民の夭折おあはれみ、医薬、禁厭、温泉の法おたて、其疾苦おすくひ玉ふ、時に大己貴尊御心地例ならざる事のありしに、宿奈彦奈命、則温泉に浴せしめたまひければ、尊の御病脳即時に平愈あり、是より二神海内お巡行し給ひ、土地のよろしき所々に温泉おもふけたまひし事、旧記に彰然たり、其後舒明、孝徳の二帝も、温泉に浴したまひて御脳お療したまひ、其外代々の人々、入湯して病おのぞきしためし、挙てかぞへがたし、とほき唐土おとふに、秦の始皇帝瘡腫のうれひありて、驪山の温泉に浴せられしかば、その疾頓に愈たるよし、三秦記に見へたり、 ◯按ずるに、大己貴宿奈彦奈二神浴湯の事は、伊予国道後温泉条に引く釈日本紀に見えたり、