[p.1104][p.1105]
三省録
後編三住居
世上にて沙汰ありし富有の町人、紀伊国屋文左衛門と雲ものありし、上野中堂御普請、請負にて、数万の金おまふけて、奢はなはだしきものゆえ、兼て目お附て居られし故、元禄十三年の夏、評定所へ出て願ひけるには、隻今は御用の間に候まヽ、病気養生して入湯仕度段申ける、伊豆守大きにいかりて、町人の分として、上お軽しむる奴かな、湯治の願などは、我等が組与力が家来どもまで頼みてねがふべきことなり、然るに今歴々公用の評定の席へ願ひ出ることは、大なる奢者なり、これこの事は、常々御用おもうけたまはる身分なれば、其次第お存ぜざるにはあるべからず、畢竟おのれが身分お高ぶるよりのことなりとて、牢舎申つけられたり、