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笈雉随筆

温泉 世に温泉の説多して、未だ理尽さず、俗には硫黄の気伏して温泉おなすといふは総論なり、夫地下に温泉あるが故に、薫蒸して硫黄ありとはいふべし、地下に水脈あり、火脈あり、其二脈一所に会し、或は近く融通するあれば、必水泉温沸す、されば水脈といふものに引れて、地上に出る潮あり、我邦にも奥の塩井、甲州の塩の山など是なり、又火脈の勃興せる富士〈駿州〉浅間〈信州〉阿蘇〈肥後〉温泉山、〈肥前〉宇曾礼山、〈南部〉霧島山〈日向〉等也、平地は室の八島、〈下野〉越後地火、〈蒲原郡〉或は海中にも硫黄が島、〈薩州〉八丈島〈伊豆〉あり、必火脈あれば温泉となる、桜島、〈薩摩〉又松前の辺なる島にもあり、故に海中といへ共真水あり、是陰中の陽、陽中の陰也、皆同類といふべし、されば六十余州の内、温泉なき国は少し、就中伊豆は小国にて駿相にはさまり、海へ差出たる地なるに、温泉有事二十余け所、殊更加茂郡葛見庄熱海は、温泉有の地名なり、天平勝宝の年間に出沸すといふ、此に諸国の温泉と大に異なる子細は、毎日昼夜卯巳未酉亥丑の時に涌て、其余の子寅辰午申戌の刻には、隻烟のみ立也此偶数の刻に涌て(○○○○○○○)、奇数の刻には涌ず(○○○○○○○○)といふ事、至て不審也、中華にも似たる事有といへ共、又其理おいはず、須行記に曰、碧玉泉、有曹渓、有泉甚清、一日三潮、以辰午酉三時水必脹満、三時余半涸と雲々、熱海は潮の大熱湯也、其涌出の所には四方に石垣おなし、常に人の入事お禁ず、其涌時、真中にたヽみ上たる盤石の底より鳴動し、猛烟天お掠め、熱湯迸り出、其凄き事いふ計りなし、是お四方へ筧お以て取て、湯舟は堪え置なり、浴家二十七軒、三軒の本陣有、又一月中一度長沸する事有て、終日涌出す、然る時は、翌日は終日涌出ざる也、又浜辺に滝湯とて、火しく山より流れ落、下に大なる湯舟三に堪ふ、神社あり、走湯権現と申、〈◯中略〉都て温泉の地、潮なるはなけれど、硫黄成は鉄器早く錆腐る故に、寺院の鐘先腐壊す、其甚敷は、上州草津也、浴湯の人至れば、先刀剣お宿に預り、箱に入、能々緘して、還るの日出し与ふ、然らざれば、逗留中に錆て用立ざる程也、予九州の帰路、豊後国府内に至る時、九月五日也、此日此所の市〈浜の市といへり〉満会の日にて、近郷の人火しく群集す、〈◯中略〉翌日小船おかりて別府へ行けり、笠縫島は磯近くて、棚なし小舟漕行は、古歌の姿お得たり、弓手は四極山海岸に立覆ふ、浦々の風景又珍らし、程なく磯に著て、小き坂路お上り下り、とある浜に人の首七つ八つ並び見えたり、こは怪しき事也と嶝お回り〳〵て、漸く近く見るに、いよ〳〵首也、僧の首も有り、女の首もありて、物いひ笑ふさまなり、余りにいぶかしければ、道お走り〳〵、頓て其洲崎に至り見れば、各浜の砂お堀穿て支体お埋みたる也、此所に温泉あれども、潮と交りて地上に出ず、故に身お埋めて浸すに、其温暖甚快し、され共潮さしぬれば海と成故、引夕お考て斯くの如くす、至て加減よき程なり、頓て出る時は、側に池の如き湯あり、是にて砂土お洗ひ落し、衣服お著して宿へ帰るなり、別府町にも、家毎舟に湯お湛え置り、誠に興覚る業ながら珍らしく可笑、数十年の旅行の中には、見馴れぬさま〴〵の事多かりき、