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熱海温泉図彙
湯味 鹹気ありて苦し、此しほけは潮の鹹気とおなじからず、いかんとなれば、里人此湯に糸おひたして木綿お織るに、その木綿甚だつよし、此湯色絹にふれても暈のつく事なしと聞しゆえ、京山逗留のうち、茶の湯に用うる紫のふくさお、此湯にひたしてこヽろみしに、いさヽかも色のかはる事なきゆえ、里言の虚ならざるお信ず、湯は玲瓏たる事水晶のごとく、大便つうぜざる人一碗お喫すれば、こヽろよく通ずといふ、 湯潮〈ゆのわき〉 湯の潮(わく)こと、昼夜に三度、長の時に奏潮〈六つ、四つ、八つ時、〉年中時お違ふ事なし、四十日又は五十日目に終日沸潮、是お長沸といふ、次の日はかならづ湧事なし、是お休と雲、その次の日湧事時おさだめず、一二日おへてわく事前の如く、湯の沸形勢は、鼎に水お煮るがごとく、はじめは蟹の眼のごとくに湧いで、次第にわきたち、沸湯にいたりては、石竜熱湯お吐がごとく、二間余もへだてたる大石へ熱湯吐かけるありさま、響は雷のごとく、湯気は雲のごとく、天に上昇、見るに身の毛もよだつばかり也、此湯お四方の客舎に引き、湯船にたくはへ、冷して浴せしむ、ゆえに里言に大湯と唱ふ、その図お下にあらはす、〈◯図略〉諸国に温泉多といへども、かヽるためしおきかず、天工の機関奇妙不思義の霊湯なり、唐土雞籠山の潮泉に類すれども、それよりは奇とすべし、