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有馬山温泉記追加
入湯の法 凡此湯に入人、湯入の間身おつヽしむ事、甚おこたりある故に、病お生じて、却て名湯おそしるの類多し、湯あがりは、温湯の気、身に徹して寒おおぼへず、故に浴衣ひとへお著て久しく座也、風にやぶらるヽ事おしらず、又入湯は酒食おめぐらする故に、過すに害なしと雲て、飲食はなはだ度おこへ酒と和、欧、淫声のたはれたるにひかれて進み安きゆへに、しば〳〵乱に及ぶ、中にも色欲はわきて湯治にいむなれば、往昔より此地にかたくいましめて、遊女妓童のしばらくもとヾまる事おゆるさず、まして湯女は酒宴の席にのぞむといへども、客に通る事はかたきいましめなれば、おもふにかひなしと知ながら、おろかなる壮男は、見るにきくに心お動して、病お添る種と成ぬ、すべて此地に来るの人、温泉お疎におもふが故に、一日の内わづかにふたヽび廻る幕のあないありても、飲食お心よくせんと欲してうけがはず、あるひは盤上連歌の席の盈ざるお惜み、鞠楊弓の場のなかばなるおいとふが故に、期おはづして養生の節お失ふ、浅ましき事なり、凡湯治に来る人は、四民共におしむべき時日おついやすのみかは、仕官たる身は、暇なき君辺の勤おかきて此地に来りながら、養生おおろそかにすべからず、唯温泉お君のごとく神のごとく敬ひつヽしみ、是に仕へては温泉の心に協ひて、病お除くの術お思ふべし、湯入の間、心体お不潔にして、温泉の心に背べからず、 入湯のうち、専風お恐るべし、昼寐すべからず、然ども是おつヽしまんと思ひて、枕はとらざれども、浴後は気めぐり体ゆるむゆへに、薄衣にして座しながら眠りお催し、却て風に感じ安し、若大につかれて眠に堪がたき時は、昼といへども屏風引廻し、衾かづきて臥べし、久しく臥べからず、かたはらに居る奴婢にはかり、期お定てよびさまさすべし、