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温泉小言
一故に諸国の温泉ある所、一所に湯壺のいくつもある所あり、土地がひとつ所なりとて、その湯に差別なしとおもふべからず、湯壺と相去ること、才か二三間のあいだにて、その湯の性大に相違するあり、是そのわかす地中の火はおなじ火なれ共、其湯となる水筋の相違、或は又土中にてすでに湯となりて後、その湯のくヾり来るすぢ〳〵に相違ある故なり、肥前温泉山の上に湯壺いくらもあり、その湯壺の相去ること才か四五間、或は八九間のあいだなり、才か見へ渡る程の所のことゆへに、その湯に差別あるまじきことなるに、その湯の色、米泔汁お見るがごとく白き湯あり、又青黒色なるあり、砥汁のごときあり、その湯皆極熱にて、人の浴すべき湯にあらず、土人これお名づけて地獄といふ、浴せぬゆへにその性効はしらねども、色さへかくのごとく大相違あるなれば、その性の相違は決定なり、是湯壺の所の土気に相違もなく沸す地中の火に相違もなき筈なれども、その湯壺々々の水筋の相違、或は土中にて湯となりて後、その湯のくぐり来る筋々に相違あるゆへにかくのごとく色に相違あり、但州城崎の温泉も新湯と瘡湯と、そのあわひ才かの所なれ共、新湯は瘡お発し、瘡湯は瘡おいやす、曼陀羅湯は、東槽は瘡お発し、西槽は瘡お愈す、これも右之理とおなじことにて、その湯壺々々へ来る湯の、筋々ちがふゆへなり、わかす火に相違あるにあらず、