[p.1131]
古史伝
十八神代
なほ因に、湯泉のことに就て、此段の二柱神〈◯大己貴命、少彦名命、〉お祭れる社お言はヾ、まづ摂津国有馬郡にも温泉ありて、上代の天皇たちも御幸ありしこと、国史に数見えたり、神名式に、此郡に湯泉神社、〈大月次神嘗〉また有間神社などあるは、共に此二柱神お祭れりとぞ、〈湯泉神社のことは、親長記に湯山明神三輪明神なりと雲、千載集に、有馬の湯に忍びて御幸有ける、湯の明神おば、三輪明神となむ申すと聞て、めづらしく御幸お三輪の神ならばしるし有馬の出湯なるべし、と見ゆ、今も湯山町と雲に在て、神界に温泉あり、色葉字類抄に、温泉三和社、旧記雲、大神温泉鹿舌也、崇神天皇御宇之時七年、始被定置神戸雲々など見え、有間神社は、熊野、三輪、鹿舌の三座にて、鹿舌の神とは、少彦名命なり、今は香下村なる鹿舌山といふに在て、鹿舌明神と申すと諸書に雲ひ、摂津志には、在中村属邑西尾、今称山王、近隣七村所祭、村民平日忌穢、婦人産期、出就水涯、分娩未嘗有産死者といへり、何れか是なることお知らず、〉また上野国群馬郡に、伊加保神社〈名神大〉とある社の祭神も、今は湯前大明神といへども、少毘古那神なりとぞ、一説には、元湯彦友命、又名彦由支命と申すと、此社のこと記せる物に見えたり、元湯彦友命、彦由支命といふ神名、古書に未見当らず、決めて少彦名命の亦名なるべく所念ゆ、〈此社のこと、国史に、承和元年九月辛未、以上野国群馬郡伊賀保社預名神、同六年六月甲申、奉授上野国無位御賀保神従五位下、貞観五年十月七日、上野国正六位上若伊賀保神従五位下、同十一年十二月廿五日、正五位下伊賀保神正五位上、同十八年四月十日、授正五位上伊賀保神従四位下、元慶四年五月廿五日、授伊賀保神従四位上、同年十月十四日、授正五位下伊賀保神正五位上など見ゆ、但し此十月十四日なる正五位は、正四位の誤なるべし、〉此所に謂ゆる伊加保の温泉あり、また此社に並びて椿名の神社とある社は、今榛名山といふ山に在て、俗に満行宮大権現と雲、此神も元湯彦命なりと社説なり、〈一説に、中に伊奘諾、伊奘冊尊、左右は国常立尊、大己貴命と雲は信がたし、或説に、式に椿字おかけるは、榛の誤なりと雲るは然る説なり、〉さて万葉十四巻上野歌に、伊香保呂能蘇比乃波里波良と詠るが二首あり、〈伊香保呂とは伊香保山なり、呂は詞の助なり、蘇比乃波里波良は傍の榛原(はりはら)なり、榛名山の地名に由ありておぼゆ、〉また可美都気努伊可保乃奴麻爾雲々と詠るものあり、