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有馬日記
湯の大神にまうづ、所は温泉より一丁ばかり東南にて、いさゝか高くのぼる所、南の山のそばになん、北にむかひてたヽせ給へる、あたはらといふやまひに、としごろなやむよしまうして、此やまひやめ給へ、御湯のしるしあらせ給へと、ねんごろにねぎまうして、こヽにつきける日よりはじめて、朝ごとにまうでぬ日なし、そも〳〵此大神、今は権現の宮と里人は申す、さるは熊野権現、三輪明神、鹿舌明神と申て、三柱おまつれるよしいひつたふ、千載集には、有馬の湯に忍びて御幸ありける御供に侍りける、湯の明神お三輪のみやう神となん申侍ると聞て、物にかきつけて侍りける、按察使資賢、めづらしき御ゆきおみわの神ならばしるしありまのいでゆなるべし、となんあれば、むねとは大女命おまつれるなるべし、薬の神にまし〳〵て、人の病おたすけ給ふときけば、ことにたのもし、延喜式の神名帳に、湯泉神社としるされたるはこれなるべし、安永二年といひしとし、此わたり寺また人の家どもヽ、そこらやけぬるおり、此御社もやけ給ひぬとて、今はかり殿になんおはします、此東の今一きは高くて平らかなる所は、薬師の御堂の跡なりとて、竹の垣おゆひめぐらしたるに、たくみどもあまたして、大きなるくれざいもくほど〳〵とうちけづるなり、本尊は、今は御社のむかひなる何がしの坊におき奉れると、いと尊くきらきらと大きなる御ほとけなり、此仏のたふときこと、又出湯の深きゆえよしなんど、此坊につたへて、物にしるしたる、いにしへ大水いで来て、山くづれたるに、湯のあたりも何もうせはてヽ、年ごろへけるに、行基ぼさつといふ法師、すぎやうにありくおりふし、熊野権現といふ神に出あひ奉りて、尊き御さとしごとうけ給はりて、衆生のやまひおすくはんためにたづね来てなん、此御湯お二たびおこしけるとかや、そのかみめづらかにあやしきしるしどもなんどあらば、いけるごとなんと、さま〴〵いふなるは、例のおろかなる世人おあざむきならへる、仏の道のくせぞかしと、うるさくてなほざりにのみきヽすぐす、