[p.1141]
源平盛衰記
四十一
盛綱渡藤戸児島合戦附海佐介渡海事 同〈◯元暦元年九月〉十八日、〈◯中略〉三川守範頼も、室の泊に有けるが、舟より上り、同国〈◯備中〉西河尻、藤戸の渡に押寄て陣取、源平海お隔て磬へたり、海上四五町には過ざりけり、〈◯中略〉援に佐々木三郎盛綱、夜に入て案じけるは、渡すべき便のあればこそ、平家も招らめ、遠さは遠し、淵瀬はしらず、如何はせんと思けるが、其辺お走廻て浦人お一人語ひ寄て、白鞘巻お取せて、や殿、向の島へ渡す瀬は無か、教給へ悦は猶も申さんと雲へば、浦人答て雲、瀬は二つ候、月頭には東が瀬になり候、是おば大根の渡と申、月尻には西が瀬に成候、是おば藤戸の渡と申、当時は西こそ瀬にて候へ、東西の瀬の間は二町計、其瀬の広は二段は侍らん、其内一所は深く候と雲ければ、佐々木重て、浅さ深さおば争か知るべきと問へば、浦人、浅き所は浪の音高く侍ると申す、さらば和殿お深く憑む也、盛綱お具して、瀬踏して見せ給へと、懇に語ひければ、彼男裸になり先に立て、佐々木お具して渡りけり、膝に立所もあり、腰に立所もあり、深所と覚ゆるは、鬢鬚おぬらす、誠に中二段計そ深かりける、向の島へは浅く候也と申て、夫より返る、〈◯下略〉