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東雅
二地輿
岸きし 倭名抄に、水辺曰涯、涯峭而高曰岸と見えたり、涯はみなぎはといふ者にして、岸は即きしなり、また渚おなぎさともいふは、波の限れる所なれば、旧事紀には波瀲の字用ひられしかども、古事記には波限の字お用ひたりけるなり、古記にきと雲ひしは限(きり)の義ありしかば、みなぎはとも、きしとも、なぎさとも雲ひしと見えたり、〈岸おきしといひ、際おきはといひ、限おきりといひ、段おきたといふの類、皆限るの義あり、みなぎはといふみは水なり、なはのといふ詞の転なり、水の際なるおいふなり、涯岸渚並に水際お雲ひしに、さしいふ詞の同じからぬは、各別れし所のありしにや、涯おみなぎはといひしは、浦回、磯回などいふ事の如く、水涯の回れる貌おいひ、岸おきしといひしは、細石おさヾれしなど雲ひししといふ言葉の如く、石岸の峭しき貌おいひ、渚おなきさといひしは、荒磯といひしそといふ詞の如く、沙渚の平かなる貌お雲ひしも知るべからず、古語にわおはといひしも、そおさといひしも、并にこれ転語にてありしなり〉