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源平盛衰記
十五
宇治合戦附頼政最後事 下野国住人足利又太郎忠綱進出て、淀路河内路も、我等が大事、全く余の武者の向べきに非ず、橋て引れ河お阻たればとて、目に懸たる敵お見捨て時刻お経るならば、芳野法師、奈良法師参集て、ゆヽしき大事、此河〈◯宇治〉は近江湖水の末なれば、旱事更にあるべからず、武蔵と上野との境に利根川と雲大河あり、其にはよも過じ物お、〈◯中略〉況此河は浪早しといへ共底深からず、岩高しといへ共渡瀬多し、〈◯下略〉