[p.1159][p.1160]
源平盛衰記
三十五
高綱渡宇治河事 未だ川お渡す者はなし、如何か有べきと評定様々なりけるに、畠山庄司次郎重忠進出て申けるは、事新し、此川は近江湖の末、今始て出て来たる川にあらず、春立日影の習にて、細谷河の氷解、比良の高峯の雪消て、水のかさは増共、水の減事有べからず、足利又太郎忠綱も、高倉宮の御謀叛の御時は、渡せばこそ渡けめ、鎌倉殿の御前にて、さしも評定の有しは是ぞかし、始て驚べき事に非、兼ての馬用意其事也、重忠渡して見参に入んと雲処に、平等院の小島崎より武者二騎蒐出たり、梶原源太と佐々木四郎と也、〈◯下略〉