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東遊行囊抄
十二
富士川 船渡也、此渡蒲原と吉原との馬次の塚也、蒲原より東に行するものは、西の岸にて荷お下し、吉原より西行するものは、東の岸にて荷お下す、治承四年十月二十日、平惟盛、忠度、知度、東征の時、此渡の西の岸に陣すと雲に、但岩淵の宿かくての事なるべし、 此国お駿河国と号する事、此川に依て也、風土記富士川の流、其水きはめてはやし、仍駿河と名づくと也、駿とははやき馬の事お雲、浪の脹り落る事、駿足の如逸なる故に雲と也、