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江戸紀聞

隅田川 此辺の川おすべて隅田川と雲、角田川ともかき、又須田川(○○○)、或は須田の河原ともいへること古き書に見ゆ、この川の向に須田村といへる所もあり、 今按に、此川いまは変遷して、いにしへとは流もことなる様にいひ、古隅田川といへる所もあれど、おもふに、此川古今流おことにせしにはあらざれど、いにしへはことの外川のはヾも広く、いく瀬にも分れて流れしにや、さればふるくより隅田の河原になどいへる和歌も見えて、多く河原もありしと見ゆ、古隅田川と流おつらねしといはんには、その間多く隔りぬれば、流はことにして、その名は同じく隅田川と唱へしお、後の世には更にその名所もたがへる様におもへるなるべし、或書に雲、中川と綾瀬川によこたはりて、古隅田川といふあり、今はうづまりて川はヾ僅に一間余あり、むかしは中川と川またになりて、荒川へ流れ合て海に入しものなり、土人の雲ひ伝るは、古隅田川の所にそひし蒲原村は、いにしへの駅にて、今も宿と雲地名のこれり、今隅田川と称せる地は、二百四五十年以前は海にして、川のあるべきやうなし、しかれば土人のいふ古隅田川実跡なるべしと雲々、此説甚非なるべし、土人の古隅田川といひ伝ふるは、却てあらぬ所お誤りつたへしと見ゆ、回国雑記、北国紀行、梅花無尽蔵等の書は、皆三百四五十年以前のことなり、是等に雲ところにてもおもひしるべし、〈下に載ぬ〉又江戸の古図にもよくかなへり、土人の説お信じて古書お捜らざれば、世の人おまどはすことすくなからじ、されど上古のことは、必らずしも今よりしいて説お付がたし、利根川なども、今は当国にもまれなる大河にて、古へより同じ流なるべしとおもふに、又古利根川といへる処あれば、是もむかしとはたがへるにや、隅田川は往古より名高き所の名所なり、他の国にも大和(○○)、伊勢(○○)、紀伊(○○)、駿河等にも同じ名の河あれど(○○○○○○○○○○○○○)、そのうちにも当国おもて第一とせり、