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利根川図志
一総論
利根川は、本源お上野国利根郡藤原の奥なる文殊山に発す、〈義経記巻三、頼朝謀叛事条に、隅田川の事お言ふとて、此の河の水上は、上野国利根庄藤原といふ処より落ちて、水上遠しと記せるは、古今の沿革は有れど、此の川お言へるなり、又江戸名所図会、武蔵演路共に文殊岳より出でたると言へり、こは陸奥越後に界ひたる諸山の脈なり、〉故に郡名お以て直に川名とす、〈利根郡の名は、延喜民部式に見え、倭名抄国郡部に利根〈止禰〉といへり、上州名跡考に利根は尖りたる峯多ければ、利峯の義なるべしと見ゆ、猶考ふべし、〉刀禰と書きたるは固より仮字にて、義あるには非ず、〈◯中略〉此の川大別して上中下の三利根川(○○○○○○○○)と為す、其の上利根川(○○○○)に入る者は赤谷川発知川(○○○○○○)、臼根川片科川(○○○○○○)、吾妻川(○○○)、烏川(○○)、志戸川(○○○)、渡良瀬川(○○○○)等なり、此の間大約二十八里有奇、この下分れて二川と為る、其の北なる者は赤堀川(○○○)、関宿に至り再分れ、一は逆川(○○)となり、平時は南して江戸川に入る、〈大水の時はこれに反す〉一は利根川の本流お為し、東流して絹川蚕養川(○○○○○)お并す、これお中利根川(○○○○)といふ、凡十六有里奇、その南なる者は権現堂川(○○○○)、関宿に至り逆川お容れ、南して江戸川と為り、堀江に至て海に入る、其の中利根川は益大になりて、以下南は下総の手賀沼、印幡沼、長沼等お并せ、北は常陸の大浦、霞浦、浪逆浦お容れ、広八百七十間許の大江と為り、凡二十里余お経、銚子口より海に入る、これお下利根川(○○○○)と謂ふ、尚小流のこれに入る者数ふるに徨あらず、これ其の七十余里の流お為し、日本三大河の一お為して、〈◯註略〉土地お滋潤し、魚蝦お生育し、舟楫お通利し、人民お俾益する故なり、