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東遊記後編

新潟 越後国新潟は、信濃川(○○○)其外の川々落合て海に入る所なり、海口近くの一二里の所は、川幅広き事一里二里ばかり、渺々として湖のごとく入り海のごとし、岸より岸まで水甚深く、浅瀬といふものなし、千石二千石の大船といへども、いづくまでも自由に出入りす、誠に川湊にては日本第一ともいふべし、川幅の広きも天下無双ともいふべし、此河お信濃川といふは、此川の水上は信州犀川筑摩川にて、其国善光寺の辺にても、既に東海道天竜川程の大河なり、それより新潟までは五六十里おへて、其間大小の川々流れ入るゆえ、かくばかりの大河となる、されど越後は地勢平坦なるゆえ、流れ甚穏にして、淀河などよりも静なり、総じて越後路石無く、皆にこ土ゆえに、川の両岸も柔にて、崩入り次第なり、されども水勢ゆるきゆえに、大に崩る事もなし、其水は常に黄色に濁れり、余は三条と雲所より新潟迄十里の所お、此信濃川の堤通り来りしゆえ、此川の体委敷見及たり、長岡の城下より此新潟迄十六里お、四百石積程の川舟、常に一日づヽに上下す、誠に運漕に便利なる事も、海内又かヽる川なし、其大なる事日本第一なるに、其名高からざるは、北陸避遠の地にありて、殊に其川平穏にて奇ならざるゆえなるべし、余新潟の町より又小船おかりて、芝田の木崎といふ所迄、五里が間お此川の入江々々お伝ひて乗しに、其間広き所は二里に余る所もあり、狭く入込所は才に二三十間の所もあり、是は本川筋にあらざるゆえなり、流れ甚静にして流れざるが如し、此日殊に晴天にて、両岸の景色うるはしく、入江々々には蓮の茎甚だ多し、夏月には水面一様の花にて、見事なる事いふばかりなしとぞ、新潟の町より舟お浮め荷華お賞し、又は納凉など甚繁華といふ、扠船中より四方お見渡すに西南より東北へ六七十里お見渡して山なし、西北には二十五里の所に佐渡山見ゆ、東方に奥州会津の山見ゆる、