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十寸穂の薄
四牟婁郡
熊野川 音無川の末流、北山川の落合の処お巴が淵といふ、是より新宮城まで下り舟里程九里八町といふ、巴が淵船場解纜順流而くだれば、高山村の畔に屏風島あり、其次網代が淵、見あげ石、撞木山、其下に烏帽子岩、次に絹巻石とて、右方川端巌山に横はる、似絹巻巨石おいふ、屏風石折敷岩味噌豆石あり、左方楊枝村〈銅山〉常楽寺薬師仏は、往昔京の三十三間堂の梁木、柳の樹の大木の出たる処、其柳の伐株お以て、七体の薬師如来お刻み、此寺に安置す、因是地名も即ち楊枝村と名く、かい餅石筒井岩あり、和気村美毛登明神〈祭菊理姫命〉名所也、風雅集に有漏路より無漏に入ぬる道なれば是ぞ仏の美毛登なるべき、とありしも此祠なり、右方達摩石、左方滑が滝、布引の滝、三重の滝、葵の滝、右方犬戻り、猿すべり、親不知、子しらずと雲難所あり、陸地に火鉢の森見たり、右手に骨石真魚箸石二本直立如箸植たり、其已前庖丁石とて有、去亥年の地震に折て今はなし、俎石は其形四角なる平岩なり、其上に肝石とて大さ其径一間余の円石あり、鉤鐘石は巨巌の根お離れ積立たる絶壁の上に峙ち覆はる、其下お河船乗くだる也、石舟と雲岩は、大船お仰のけたるが如き巨巌なり、田長村のあたりに至れば、雪の滝最見事なり、懸崖万仞の高みより、水沫宛も打綿の如に一固まりに成て、雪の漂りくだるに似たるおもて名焉、白糸の滝は、如縷細くわかれて太虚より真直にくだるおもて名とす、九里八町の間に、世に聞たる滝の数都て六箇所、みな壮観也、