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源平盛衰記
二十一
大沼遇三浦事 八月〈◯治承四年〉廿三日には、石橋の合戦と兼て被触たれば、三浦は可参よし申したれば其日衣笠が城より門出し、船に乗て三百騎沖懸りに漕せけるに、浪風荒くして協はず、廿四日に、陸より可参にて出立けるが、丸子川の洪水に、馬も人も難協と聞て、其日も延引す、廿五日に、和田小太郎義盛三百余騎にて、軍は日定あり、さのみ延引心元なし、打や〳〵とて、鎌倉通に腰越、稲村、八松原、大磯小磯打過て、二日路お一日に酒勾の宿に著、丸子河の洪水いまだへらざれば、渡す事不協して、宿の西のはづれ、八木下と雲所に陣取、洪水のへるお待、暁渡さんとて引へたり、