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阿弥陀滝遊覧記行
文政五年の秋八月、美濃国郡上郡なる前谷村の阿弥陀滝お遊覧せんと思ひ立、〈◯中略〉二十九日晴、朝五つ比、経聞坊お立て、長滝寺の境内より東へ曲り街道へ出、川水の音お聞ながら行、〈◯中略〉倒れたる朽木おのりこへ、木の根に取付、草お押分、岩お伝ひ、又行事四丁許、稍にして滝の辺りに至る、滝高さ百間ばかり、飛泉巌頭より奔飛して碧沈に落、其形恰も数百の布お爆すが如く、落る音颯沓として遠近に響き凄冷しく、山巓の蒼樹蓊鬱として、日光お遮ぎり、陰凉心に徹し、人おして毛骨凄然たらしむ、滝の左の方に、〈滝より南なり〉屏風岩とて、屏風お立廻したる如き数十丈の絶壁あり、又滝の右に深さ六間、幅十六間、高さ七尺許の巌窟あり、上より水流る故に、笠おかぶりて入、奥に小祠あり、扉お開けば小き銅像あり、取出して巌窟の外へ持出て見れば馬頭観音なり、又元の如く祀中に納て巌窟お出、此巌窟昔時長滝寺の道雅法印といふ人、此巌窟に入て護摩お焼しかば、阿弥陀仏の像滝にうつり給ひし故、阿弥陀が滝と名くとなん言伝ふ、滝の裏へも行ば行るべけれども、水烟雨のごとくなる故に予は不行、