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年々随筆

日本紀に作雲々池とあるは、新治の田の事なり、さるは山のふもとの小高き所に池おつくりて、そのあたりのやう〳〵低くなり行所お田につくりて、水お沃ぎしなり、田どころはやう〳〵にひろごりて、そのかみまづいできたるは、いづこばかりともしりがたくなり行物なれば、此池は某天皇の某年某月作たりと、池にかけて語伝へたるなり、崇神天皇紀に、六十二年秋七月乙卯朔丙辰、詔曰、農天下之大本也、民所以特以生也、今河内狭山、植田水少、是以其国百姓、怠於農事、其多開池溝、以寛民業とあるは、狭山に池お作そへて、もとよりある田に水おまかせたる事なれど、新開も同じ方にて、池より水おそヽぎたる物なれば、此文証拠となすべきなり、さて此池おつくるといふは、庭の池水とはやうかはりて、平らかなる地お堀鑿ちて、水お湧しめたるにはあらず、山の尾ざきと〳〵とおつきとめて、雨水雪みづおためたる物にて、万葉集に水たまる池田などよめるは是なり、かくて冬十月、造依網池、十一月、作刈坂池反折池などあるも、みな屯倉御県のたぐひにて、公の田なり、日本紀にはかやうの子細多かるお、等閑に看過す事なれば、おどろかさんとてなん、