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落穂集追加

不忍池の弁財天の事 一問曰、隻今上野忍ばずの池中島の義は、以前より立来りたる事や、答曰、右中島の義お我等承り及候は、東叡山開けし以後、天海僧正と、水谷伊勢守殿義は入魂に有之、或時僧正の方へ、水谷殿振廻に被参候節、伊勢守殿被申るヽは、当山の義は、都の叡山に准じ、東叡山と名付らるヽ所に、忍波須の池(○○○○○)有之候は、幸ひの義に候間、池お湖水になぞらへ中島お築き、竹生島おうつし、弁天堂お建立有つては如何なりと也、僧正聞たまひ、夫おこそ我等願ひ候得共、池水殊の外深く、中々築き立られ申事にては無之由、諸人申に付、其通りに致置となり、伊勢守殿被申るヽは、たとへ何程水底深く候にも致せ、小島の一つ許り築立候と有るは、いと心安き事なり、幸今度浅草川除の御普請被仰付るヽと、夫より人夫おあまた呼寄置候、右の御普請相済次第、直に池中の島普請可申付候間、十日計りが間、人足共の罷在候所と、土取り場迄の義お、当山の中にて御差図あれと有之ければ、僧正の御申候は、人足共の居所の義は、何程なり共寺中に於て可申付也、総て寺院方の山門先の場広なるは不存事に候間、池の端より上手の土おば、いか程なり共、入用次第に御取らせ候様にと有之也、其内に御普請も相済候に付、浅草川より舟お持入、十日計りが間に島おつき立、弁天堂おも伊勢守殿建立被致候と也、伊勢守殿御申には、諸人参詣の為め、弁天繁昌の為に、其上陸続きに可申付哉と有れば、僧正被申るヽは、竹生島に准じ、舟にて往来致したるが能く候と被申ければ、夫よりもはるか後迄も、舟にて往来仕るとなり、