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玉勝間

江戸の地名これかれ 宗祇法師が回国雑記といふ物にいはく、次の日浅草おたちて新羽といへる所におもむき侍るとて、道すがら名所ども尋ねける中に、忍の岡といへるところにて、松原の有ける陰にやすみて、霜のヽちあらはれにけり時雨おばしのびの岡の松もかひなし、こヽお過てこいし川といへるところにまかりて雲々、とりごえの里といへる所に行ければ雲々、柴の浦といへる所にいたりければ雲々といへり、此道なみお見れば、忍びの岡とあるは、今の東叡山の地と聞えたり、さておもへば不忍の池といふ名も、忍びの岡より出たるにやあらん、