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伊勢参宮名所図会
附録
湖水 あふみとは元淡海なりしお、天智帝大宮に近き江なりとて、近江の文字お作り、遠き江お遠江と号す、故にこれおちかつあふみ、とふだあふみともいふ、山谷の瀝滴所八百八河とはいへども、是はたヾ物の多きおいふのみ也、凡湖辺山谷の流末大なるは四十ヶ所ばかりにて、其余数しれず、水海とは満干なき故なり、塩ならぬ海ともいふ、又あふみの海とも雲、歌にはにほてるやあふみのうみとよめり、鳰の海といふは、いかなる事とも未詳、うたがふらくは難波の枕詞、おしてるといふに同じかるべし、おしてるは襲ひてるとの義なれば、にほはにほひにて、うすく照るの義にもあるか、又鳰島とは、此鳰の海に多く住ものなれば名付たる 俗にかいつぶりと雲、琵琶の海とは、海の形似たるお以て号けたり、凡勢田より海津まで南北二十里、東西の広き所凡九里、今津と佐和山の間猶広し、北は浜村、西は海津、中は大浦、東は塩津也、北は山お隔て越前に隣る、〈◯中略〉狭々浪とは、日本紀神功紀に、さヾ浪と計にてあふみの事とす、さヽは小の意にて、浅水の貌なり、万葉に、石走る近江の国、楽波の大津の宮ともよめり、三津の浦といふは、志賀の浦おいふ、これも元は御津也、大津なり、 伝曰、孝霊四年、江州の地拆て湖水始て湛、駿州富士山忽出焉、景行十年、湖中竹生島浦出雲々、〈或雲、此説信ずべからず、〉