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閑田耕筆

越中国布勢の湖は、家持卿のうた万葉集に見ゆるに付て、其辺の地理お国人にとふに、先かの卿お祭れる社湖辺にありて、御蔭明神と称す、多胡のうらは、今湖おさること半里余にして、陸地の一邑となれり、此間の湖水は埋れて田となりし成べし、たヾ名におふ藤は大なる古樹今も繁茂せり、澀谷崎は二上山の北の尾のうみに臨む所おいふ、射水河は水源飛弾山中より出て、当国礪波郡井波といふ所にいたり、細き谷口より流出るが、水勢甚急也、さて其水二流に別れ、また末にて合し、一大河となるお射水河と号く、両岸相さること四百間計とぞ、