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東雅
二地輿
沼ぬま 義不詳、古語には、ぬとのみ雲ひしなり、万葉集抄に、ぬまとは水の流れぬおいふといひけり、されど古事記に、彦五瀬命の登美毘古の痛矢串お負ひ給ひ、其御手の血お洗ひ給ひし故に、其海お血沼海といふ也と見えしは、今の和泉国の南海也、さらば古にぬといひしものは、後にいふ所には同じからぬ歟、倭名抄に、瀦の字、読てぬまともうまともいひけり、後にぬまといひしものは、水たまりぬる所の泥沙のために埋まりて、其水浅きおいひしと見えたり、今も俗にそれらの所おぞ沼とはいひける、〈俗に泥濘の地おぬかりみなどいふは、沼の水枯れて、其泥の滑かなる如くなる也、〉