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東雅
二地輿
海うみ 太古の時に、あまと雲ひしは即海なり、天もと呼びてあめといひしお、其語転じてあまともいへば、其代にあまといひし語、天と海と相混ぜし事ども多かりき、〈古語にあまといひし天と、海と相混ぜしといふは、たとへば垂仁天皇の御代に来れりといふ、新羅王の子と雲ふものヽ名、古事記には、天之日矛と見え、日本紀には、天日槍と見え、姓氏録には、天日桙と見えて、其記せし所各異なりといへども、天の字読てあまといふ事は皆同じ、古語拾遺には、海檜槍としるしたりけり、此書は殊更に旧説お録して奏上せしなれば、しるせし所必誤るべからず、此等の事の如きは、我国の古書お読む人の心お潜むべき事にや、〉うみといひしことば、転じてあま(○○)といひ、又わた(○○)など雲ひし如きは、古の方言同じからぬによりしにや、うみと雲ふは大水なり、古語に大おうといひけり、旧事紀、日本紀等に、大人の字読てうしといひ、万葉集に、大鹿の字うかと読むが如き即此なり、わたの義は不詳、〈海おわたと雲ふは、韓地の方言と見えけり、日本紀に、海おほたいといふは、百済の方言なり、今も朝鮮の俗はたひといふなり、并にこれわたの転語なり、秦姓おはたといふも此義なるべし、濁海檜槍などいふが如し、〉わたつみと雲ひしは、わたとうみとの二語お合はせいふ、つといひしは詞助なり、〈わたのはらといふは、猶海上といふが如し、〉又おきうみ、おきつうみなどいひしは、大海なり、日本紀に、冥渤の字、読ておきうみといひしお倭名抄には、読ておほきうみといふ、また日本紀釈に、瀛津の字、読ておきつといふ、さらばおきつうみといひしは、瀛海なり、其のつと雲ひし是も亦語助なり、