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秉燭或問珍

潮之説 或問、潮のさし引は一分お増(まさ)ず、一分お減ぜず、いか成道理にや、又潮の満来る事、皆東の方よりさす也、委敷其説お聞ん、 対曰、潮の説、古来紛々として一ならず、案ずるに、潮は天地の呼吸の気息なり、呼吸の気息といふは、人の日夜の呼吸のごとし、天地の間の自然の呼吸なり、〈◯中略〉凡天地の寿数は一元の気にして、十二万九千六百年也、子の会に天避、亥の会に天地塞るの間也、故に其息も緩くして一昼夜に二呼二吸なり、其二呼二吸は是気の升降也、地は水に浮び、水は元気と升降す元気升る時は地沈、是故に海水溢れあがる又元気降る時は地始のごとく浮む、是故に海水縮りて潮虚涸也、さるによりて潮昼夜に二度満、二度干る也、又大潮小潮にて遅速の有は、月の盈虚順環に依て替りあり、然れば天地の呼吸と見たる説是也、又一説には、余襄公海潮賦の序に、潮の消息は皆月に繫れり、月卯酉の間に望む時は、潮南北に平也、〈卯の方は東也、酉の方は西也、〉彼は満、援は竭、〈竭とは干ことなり〉往来絶へず皆月にかヽるなりといへり、又王柏が造化論には、潮は陽の精にして、陰の依従ふ所なり、月は陰の霊たり、潮の附する所也、朔日十五日は、月の環(めぐり)日に近し、故に月のめぐり早くして、潮の応ずる事もすみやか也、朔望の外は〈朔とは朔日の義、望とは十五日のこと、〉月も日に遠ざかるゆへに、月のめぐり遅くして、潮も又応ずる事小也といへり、是等の説おもしろし、又蠡海集に、凡日子に臨む時は、海水必起る、但上十五日は昼お潮とし、夜お夕とす、下十五日は、昼お夕とし、夜お潮とす、此時月皆子午の位也とあり、如是説まち〳〵なりといへども、愚案には、天地の呼吸といへる説お可也とす、山海経、水経等に載するがごとき、海鰌の洞より出る時、潮干洞に入る時は潮満る抔といへるは異説怪誕にしていふにたらず、何ぞ大魚の出入によつて、天地の潮異なる事あらんや、五雑俎には、潮夕の説、誠に窮詰難し、然るに近き浦、浅き岸のみ、其満干お見る、大海の体は、誠に一毫も増減なしと述たり、是おもつて見れば、弥天地の一呼一吸といふ理に過ず、〈◯中略〉扠又潮の消息は、いつも東よりさす事は其理あり、夫百川の水は皆東に流れ趣く物なり、是其気の至るに依て也、又東の方は地僻なる故也、潮は又東よりさす、是本に帰るの義也、抑東の方は卯辰の位にして、升気の盛成方也、辰は竜変の郷也、是故に潮は東に起て西海に注ぐ、是本に帰する理也、