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八丈島筆記
八丈の渡海は至て険難にて、凡日本より渡る所、中華、朝鮮、琉球、および壱岐、対馬、佐渡、松前、何れも易すからずと雖も、八丈島お以第一とす、豆州下田より巳午の間に当り、百里と雖へども定かならず、先三宅島に渡り、此風にてはたやすかるべしといふほどの日和お待得ざれば船出さず、三宅島よりは未にあたりて五六拾里といふ、此間に早潮黒潮(○○○○)の来る方二段三段となりて、逆浪立あがりて其音雷の如く、聴人胆お冷し魂お消す、黒潮は海面に墨おすりし如く、幾百ともなく渦ばかり流るヽゆへ、見る者怪しく是おみず、目くるめかずといふ人なし、晴天にて日和よければ、海上穏かにして、右の早潮黒潮もみえず、是お見るほどの天気なれば、決て船おつかはさず、故に見しと雲人は希なり、もし右の潮にあたれば、何国ともなく押し流がされて、再び帰る人なき故、是は語りも伝へず、遠くみて早潮ならんと察るのみなり、順風にて日和もよしといふ日にも、大浪船お打越す事は度々なり、