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筑紫紀行

周防の国お北の見、四国お南に見る、海上荒潮の色蒼慌たり、いはゆる周防灘(○○○)なり、〈◯中略〉苅田の宿〈小倉より是迄三里半〉に至る、此所も小倉の殿の御領なり、浜辺にて人家六十軒計あり、多くは漁者農夫なり、宿屋少うして問屋場に本陣お兼たる林田五郎左衛門といふ人の家に宿る、座席広々として、縁先より見渡せば、周防灘の白浪残る所なく望中にあり、近くは十丁許り東の方の沖中に、おうの島といふ小島、面白く浮みたり、杉の生垣のきりそろへたるが浜手にひきく見おろさるヽなど、風景甚よし、