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西遊記続編

隠戸の瀬戸安芸の国隠戸の瀬戸といふ海あり、此所は国の南の山遥に突出て、六七里海上に出たり、其山の陸地に連る所甚だ細ければ、海へ出たる所程お山おほり窟て切り通ふして、舟のかよふ海路お別に造りしなり、其所人力お以て切明たりし事なれば、両方の岸せまり居て、其間の潮行甚急にして、舟人の恐るヽ所なり、何人の切通せし事にやと尋るに、むかし平清盛安芸守にて此国に居給ひし時、舟にて毎度往来に此所に至り、出崎の山にさへられて、遥の南の方へ廻りて、十里余も海路遠くなれば、此所お通り給ふ度毎にいかりて、此出崎の山お切通し、舟お真直に遣るべしと下知し給ふ、人皆此事お人力の及ぶ所にあらざるべしと恐れしかども、清盛の下知やみがたくて、数万人の力お以て、終に陸路に連る所お断切て、舟の通ふ海お造りなせり、其後は数百年の後も其恩おかふむりて、上り下りの舟路近く行事お得るなりとぞ、余〈◯橘南渓〉兵庫に遊びし時、築島お見て、清盛の志の大にして豪邁なる事お感じ驚きしが、又此事お聞て、一世に威おふるひ給ひしも、其故なきにあらざりしと、其世の事までお思ひやりし、