[p.1271][p.1272]
筑紫紀行

かまかりといふ小湊あり、人家百軒程ありといへり、此辺の船路おかまりの瀬戸(○○○○○○)といふ、また半里程にして長浜左にみゆ、人家あり、此辺より西の方は南海の地広遠にみゆ、伊予の国界なり、かまかりより南、かろふとヽいふ湊おすぎて、おんどにいたる、またおんどの瀬戸(○○○○○○)といふ、〈忠海より此所まで十三里余〉山お後にしたる小みなとにて、人家二百軒ばかり、南より東へむけて浜辺にたちつヾけり、寺三四箇寺みゆ、昔平相国清盛公、厳島の御神お拝まむと祈誓ありしに、明神大蛇と化して見へさせ給ひければ、相国恐れたまひて、東のかたに漕戻させ給ふに、折しも向ひ夕にて、船のぼりがたかりしかば、相国怒り給ひて、舳先にたちて海上お疾視給ひしかば、夕逆に上のかたに引しとなり、さるによりて此瀬戸の一名お清盛のにらみの瀬戸(○○○○○○○○○)ともいふとぞ、例の船人はかたりける、瀬戸間一丁ばかりにして、至て狭く浅瀬おほし、此瀬戸おすぎて西の方四里程にして、館岩といふ所にいたる、このあたりの山水の形状、誠に画景とはいひつべし、