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扶桑残葉集
十四
観涛記〈天明改元四月〉 加藤景範 磯よりさし出たる島お、あふの島といふ、そのさきより大毛山にかヽり、阻道お廻りて峯にのぼれば、海は鏡のやうにかヾやく、かく波風のなぎたるお正民見て、舟にてくべかりけるものおば、船長が何に得はからぬかたひ也けりとつまはぢきす、此峯のはてなる所に茶亭あり、こヽに居て見れば、こなたの磯はなれたる所に、峙てる島おはだか島といふ、むらいなる名は、たがきせけるぬれぎぬにかあらん、松おほくしげりて、あらはにもあらず、その南に黒き岩山おとび島といふ、東は淡路島にて、このひた表にむかふ、峯の西のかたへつらなり出たるが、そのしま根と、はだか島と一里ばかりなるが、あはひ岩瀬のやうに白浪さわぐ所鳴門なり、そのあたり渦まく、おもふに此海の底とこなめの岩にて、その間にありかね、土の底とほりたるに、穴いくそばくとなく有なるべし、唐土に鰌穴尾閭沢焦など、あらぬことわりおかまへ出せるも、此たぐひなるべし、落潮のさかりのさまおきくに、波の上に数しらずうずまくが、見るがうちにくぼかに心やおちいりてふかく入り、海づら高くひきく、際だてヽ彼渦の中へ滝おなして落る、そのひヾきは山とヾろき巌ゆする、此南より北より落くるうしほ、こヽに行あふほどに、山のごとき波おおとすめり、その潮のとき事、矢おたとふるもにぶく、みるにめくるめくとなん、今少しはやからば、それお見るべきにと、口々にうらむるに、峯久は耳お何方へもやらまほしげなり、とかくするほどに見し波もしづまりぬ、正民は猶はらふくらせるおなぐさめて、翁、 立かへりまたきて見よや高波お鳴門の神やとくしづめけん、よしやくるヽまで有て、さす潮おだに見んとて、正民も翁も礒にくだり、はだか島に上らんとするに、〈◯下略〉