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東遊雑記
十三
三馬屋浦にて浦人お招き、松前渡海の里数お尋ね聞に、皆々海上七里といふ、予遠見せるに信じがたく、〈◯中略〉町端に手習師匠せし若ものに佐兵衛といふ人有、此もの万事に才有よしお聞て、其儘尋行て、海辺の地理お尋見しに、所不相応の才子たりしゆへ、大に嬉しく、海上の夕の行事おも委しく聞し事なり、〈◯中略〉三馬屋より竜飛鼻迄三十六丁道にして三里に近し、竜飛鼻より白神鼻迄七里、然ば松前の津までは十里に少し近し、右のごとくわづかなる海上といへども、西の方数千里の大海より、東海へ行夕夕にて、其急なる事滝の水のごとし、海上に三つの難所あり、所謂竜飛の夕、中の夕、しら神の夕と称し、竜飛の夕といふは、夕の流れ竜飛の岩石に行当り、其はね先至て強く、夕行一段高し、中の夕といふは、竜飛鼻よりはけ出す夕さきと、白神鼻よりはけ出す夕先と、中にて戦ふゆへに、逆浪立あがりて、時として定かならず、此夕行夕位不案内にて、一棹あやまる時は、船お夕におし廻され、危きに至る事にて、日本第一の瀬戸(○○○○○○○)なり、南より北方に渡る海上ながら、南風にて渡りがたし、其故は夕行早き所にて、船お東へおし流し、松前の津へ入がたし、数里の海上皆々石磯にて、船よすべき所なし、箱館の浦へ志すのみ也、〈◯下略〉