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東遊記後編

蚌珠〈◯中略〉 越後に在ける比、新潟の人の語りしは、此近きあたりに、福島潟といふかたあり、此潟に珠おふくめる貝あり、其大さ三四尺わたりもあらん、月明らかなる夜は、折ふし其貝口お開くに、其珠大さ拳の程もあらんと見えて、暁の明星の出たるごとく、光明嚇やくとして、水面にきらめく、人是に近づく時は、忽ち口お閉て、水底に沈み、或は口お開きながら、水上お矢お射るごとくに去る、其貝出る所定らず、何時見るにも、其大さ同じ程なれば、隻一つの貝と思はる、折々見るものあれども、昔よりある貝にして、殊に光りあるものなれば、人恐れて取事なし、又あまり程近く見る事なければ、何貝といふ事おしる事なし、唐土抔にていふ所の、蚌珠にやと沙汰するのみなり、 此福島潟といふは越後にて猶大なる潟にて、竟り六七里に余りて、江州の湖水お見るがごとし、其外にも鎌倉潟(○○○)、白蓮潟(○○○)、鳥屋野潟(○○○○)などいひて、越後には潟と名付るもの甚多し、他国には無きものなり、此越後は唐土の江南の地に似て、広大なる国にて、しかも畳お敷たるがごとく、甚平坦なる土地なり、其中に大河流る、其土地甚平なる故に、川の流れ急ならず、所々にて河水両方へくぼみ入りて、溜り水となり、是お彼地にては、何方何方といふ、皆甚大にして、二里三里四方、或は五六里四方なるも有り、他の国は地狭く、たとひ広き所にても、土地に高下あれば、川水急に流れて、左右へくぼみ入のいとまなし、唐土なども、絵図お以て考ふるに、洞底湖、青草湖抔、すべて湖といふ者、則越後の潟と同じ趣なり、此所に、皆長江に傍て湖あり、北方の地は、地面に高下ありて、山多く険阻なるゆえに、黄河に湖ある事なし、日本にては隻越後のみ潟あり、其他には無し、但し出羽の八郎潟、常陸の霞浦抔少し似たれども、其実は又異なり、