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東遊記後編

舎利浜 奥州外が浜(○○○)にほろづきといふ所有り、其海辺に舎利浜あり、小石浜なるが、其中に舎利石まじれり、白きあり、飴色なるあり、大さ定の如く、米粒の如く、明徹滑沢甚愛すべし、此所お過りし日は、天気殊に朗なりしかば、浜辺に座し、舎利石おひろひ、甚楽り、回国修行の者抔は、此舎利石おひろひ、大に尊信する事なり、殊に奇なる事は、此浜の磯近く、海中に広さ五十間程の舎利母石あり、此舎利母石より、常々舎利お産し、其舎利おちて此浜に打あげ、古今絶せず、此故に舎利多しとなり、其舎利母石、水面より余程深く沈み居て、浜辺よりは見えがたし、此辺の漁父に頼めば、海底に没入して、玄翁にて打破り取あがる事なり、此故に此舎利母石お得る事は頗る難し、されど珍敷物なれば、余も指の頭程の舎利母二つ三つお得て帰れり、其全体の色は、薄黒く土の化したる石のごとくにして、其中に米粒のごとき小舎利火敷孕めり、誠に奇なる石なり、又此舎利浜の先に、今別といふ所あり、二三里も隔れり、此所の浜お瑪瑙浜といふ、此浜に入る前後に自然の石門あり、甚奇境なり、夫より内凡半道余瑪瑙石の浜なり、猶常体の石も半まじれり、凡石も瑪瑙も大さ大低拳の程より、鶏卵或は小きは蚕豆のごとし、皆々甚明徹にして、京都にて緒〆にするものなり、世に津軽玉といひ、又は宝石ともいふ、人馬往来する浜なれば、足元に玉石みち〳〵、殊に日光にきらめきて、目眩する計なり、其うるはしきに心留りて過行べくも覚えず、程よきはひろひ取りて袖に入る程に、両の袂やぶるヽ計なり、されど長き旅路携へ帰りがたく、毎夜三つ四つづヽ人に与へ、京まで携帰れるは、才ばかりなり、かくの如き浜京近くにあらましかば、守る人も厳敷、門戸抔もありて、みだりに見る事だにも許さまじきお、かヽる人無き辺地なれば、道行人の取に任せ、誰一人禁ずる者なし、めづらしき地なり、