[p.1327]
筑前国続風土記
十四遠賀郡
若松 町あり、武家多し、是当国東の端にありて、豊前長門凡上方よりの渡りなり、むかしは修羅多村の技村なりしが、長政卿入国の後、則村となる、〈◯中略〉長政公入国の後、山の所に夜船数十艘おつなぎ、船司舟人等多く置て、急用に備らる、是は廬屋洋は、風あらき時は、船の往来なりがたき故、此所より便の人お舟に乗せて、大坂につかはすべきため也、