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筑前国続風土記
二十一志摩郡
芥屋大門 芥屋村より乾の方五町許に、大門崎とて、海中にさし出たる岩山の出崎あり、その出崎はすべて一箇の岩山にして、小きつヾけり、そのかたち、あたかも亀の方おのべたるに似て、出崎につヾけり、山尾は細し、出崎の岩山は少大にして高し、この出崎の岩のかたち、こまかにみれば、黒く八九寸、一尺三寸、あるひは一尺八寸ばかりなる方なる石の柱なり、其技はあたかも良工の手おつくし削なし、数百万おつがねて、高く海中に立たるがごとくなる形壮なり、この岩山は高き事海上に三四十間程、そのそばだてる事屏風おたてたるごとし、城郭の石壁のごとし、この上はかへつてまへにさしかヽりて、下お覆へり、その山下に大門とて、北にむかへる大なる岩窟あり、その内海水はなはだ深くして、その色黒く、よのつねの水色にことなり、是山影にして、また水きわめて深きゆへなり、見る人恐るヽ、窟中のよこ広きところ五間半ほど、その中に船に衆て入、窟中に入て見上れば、てん上のごとくにして、こと〴〵く角柱おつがねたる橋お見るがごとし、その天上の柱、石の上よりたるヽ事、長短ひとしからず、その窟中に舟の入事四拾間ほど、その半過よりすこし東へまがれり、その奥の水なきところ、船よりあがり行ば、しら砂地なり、その地にあがりたる人、あるひは五七間、十間程行といへども、その奥はなはだくらくしてすさまじく、ふかく入事あたはず、穴の中に蝙蝠多して面おうつ、しかるゆへ、いにしへより其極るところお見る人なし、里人の雲、近来或人この奥お見んため、灯お灯して窟の内にふかく入て、沙土お歩行けるに、窟中俄に鳴動し、あわ起りて甚恐るべし、人皆おそれていそぎ退き走り、船に乗て帰ると雲、また此大門の東の方に、大門の岩山お離るヽ事三四間にして、水中に岩石あり、長さ五六間、高さ水上より三間余程、この岩もまた四五寸の角柱お横にかさねたるごとし、是にも洞穴あり、民俗、海鰭穴と雲、または同北風烈して、洋の波此大門の窟お打ときは、そのひヾき数里に聞へて火し、抑このところ岩壁の奇しき、窟の中虚なる事、世間佳山水の類にあらず、彼韓柳李杜すといふとも、この美お形容しがたかるべし、まことに天下の奇観なり、かヽる寄遇は、人の国にはありもやすらん、我日本にはいまだ是にたとへるところおきかずと、たヾうらむらくは、遠き筑紫の僻地にあつて、殊に新羅の国にむかへり、大海原の辺にあれば、沖つかぜ絶ず吹て、荒き浪かヽる岩山なれば、夏の日の極て風浪おだやかなる時ならでは、船いたらざるところにして、つねには見まくほしき人も、日おさしていたりがたき事なれば、むかしよりかたり伝ふる事もなかりけるにや、古人の広く我国の事おしるせし文にも見え侍らず、また歌枕にものせもらしつる事ならむかし、